岐阜県北アルプス山岳遭難対策協議会について
第2次世界大戦の勃発により、明治から続いていた登山活動は制約を受け停滞していたが、戦後の昭和31年、ヒマラヤ・マナスル初登頂が引き金となり、登山はスポーツとしてブームを引き起こし、再び北アルプスを中心とする登山が活発になりました。
その一方で、槍ヶ岳における松澤明ら2人の遭難をはじめ、ナイロンザイル切断事故と呼ばれた前穂高岳における遭難事故など、センセーショナルな事故が相次ぎました。
昭和20年、30年当時、救助活動の主力として活躍したのが、地元の北飛山岳会と消防団でした。
警察では、こうした山岳会、消防団との相互協力体制の確立を図っていましたが、登山ブームとこれに伴う山岳遭難事故の多発という情勢下にあって、これに対応する山岳遭難防止と安全かつ円滑な救助活動を行うための体制づくりを迫られることにりました。
神岡警察署では、すでに体制を確立させていた長野県、群馬県の両組織活動を研究して体制づくりに取りかかり「北飛山岳遭難防止対策協議会」の設立と、付置機関として「北飛山岳遭難救助隊」を結成する基本構想を策定、昭和34年7月に上宝村、神岡町と山岳問題に関係する各界の代表者による設立準備委員会、同年7月18日「岐阜県北アルプス山岳遭難対策協議会」の設立総会を開催しました。
設立総会では、協議会の目的を、「北アルプスにおける登山者の遭難事故防止を図るとともに、警察の行う遭難者の救助活動を援助し、遭難対策活動の万全を期すること」とし「付置機関として北飛山岳救助隊を置く」ことが決議されました。
こうして、岐阜県北アルプス山岳遭難対策協議会が立ち上がり、今日まで北アルプスを訪れる登山者が無事故で山を楽しみ、悲惨な遭難事故が少しでも未然に防げるように活動を推進するとともに、今後もより一層の防止活動を実施していきたいと考えています。
岐阜県北アルプス山岳遭難対策協議会
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